FC2ブログ
2019. 06. 05  
しばらくブログ放置していたら、インターネットエクスプローラが表示されなくなって、お気に入りも見られなくなりあせりました。
しかもブログも10年前に作ったもので初期のメルアドもパスワードも忘れていたという・・・

それでもこれまで使っていたFC2の画面にアクセスすればほぼ自動でログインできていたため不具合は感じませんでした。

ログインできなくなって初めて、10年間書き溜めた文章がなくなってしまう恐怖を感じました。

所詮ブログなんて泡のようなものだと気づきました。

残しておきたいのであればプリントアウトするとか、ワードに貼り付けてデーターとして保管するとか地道でアナログな方法をとるしかないのかなと思いました。

でもこれまで書き溜めた文章はかなりの量になるのでその作業たるや・・・考えただけでもめまいがしそうです。

老後の楽しみのために書き始めた文章ですが、残すためには一苦労ありそうです。

仕事リタイアしたら真面目にその辺を考えようと思います。

その前にまたアクセスできなくなったらこわいなー。

ツイッターやインスタの時代にブログなんて古臭いですが、若いころから文章を書くのが好きだったのでほぼ趣味です。

書くことで自分の内面と向き合うということを繰り返してきました。

その時々でいろんな思いや感情のままに書いているので後で読むとこっぱずかしいのですが、

「そんなことで悩んでいたこともあったな」とか「あの頃は〇〇にはまってたな」「そういえばあの頃は大変だった。よく乗り越えた」

なんて自分の来し方を俯瞰で見ることのできる楽しみがあります。

・・・でどうやってログインしたかというと・・・自分のブログからログインできたのです。理由はわかりませんが。

とりあえず復活しました。

おさわがせしました。




スポンサーサイト



2019. 05. 12  
3月4月が怒涛の様に終わり、10連休へ突入。

前半はかねてから友人と計画していた吉野、奈良へ行ってきた。
備忘録として書き残しておこう

仕事を終えて、そのまま別府港へ  さんふらわーに乗り込み、一晩の船旅

一人で行くときはいつも12人のツーリストベッドで往復2万5000円の部屋に乗るのだが、友人が個室を希望するので
2倍の値段を出して2人部屋をとる。

船を降りるとめちゃ寒い。4月の終わりなのに気温10度
前日まで初夏並みの気温だったため、薄着をしてきたのが失敗だった。

大阪港から電車を乗り継いで橿原でレンタカーを借りる。
薬局でホッカイロを購入し、4枚はる

橿原神宮を見学した後吉野へ上がる予定だったが、明日香を先に見ようということになり、予定変更。

友人は明日香が初めてだったので 飛鳥寺 岡寺 高松塚古墳 石舞台 キトラ古墳を見てまわり、夕方近くなって吉野へ入る。
前回来たときは自転車で回ったのでのどかな旅だったが、今回は車なのでなんだか気ぜわしい。

岡寺は牡丹の花が満開でとてもきれいだった。癒された

夜は吉野の旅館に泊まり、夜は金峯山寺の夜間拝観へ

この時期にしか開帳しないという本堂の青い不動明王3体を見ながら住職の法話を聞き、勤行
般若心経の伴奏が大太鼓なのに驚く。10人ぐらいのお坊さんが一斉にお経を唱えるとやはり迫力がある。

青い不動明王は1000年以上もたっているようには見えない。怒った形相がゆるキャラかとおもえるぐらいかわいい

夕食をとりお風呂へ入り就寝。疲れていたのですぐに寝た。

翌日は車で女人禁制の石碑を探しに大峰山の途中まで車で行くが、山道に入らないとみられないことがわかり、下山。

途中義経堂 西行庵、山水?神社を見て、11時~の護摩炊きに参加するため再び金峯山寺へ。

住職が留守で修行僧の中で一番えらい人が護摩炊きをした。つるっとしたなかなかの男前だった。

護摩炊きの炎を見ながらいろんな人のいろんな願い事がつまっているのだと思った。

そのあとまた法話があった。人の縁についての話だった。ありきたりの話だった

勤行が終わり降りる予定が友人が「ボケ防止に脳天神社へ行く」と言い出したのでついていくととんでもないところにあった。
階段で300段ぐらい降りてまた300段のぼって戻る。
一体何の修行ですかぐらいの勢いできつかった。二度といかないと思った

そのあと食堂で柿の葉寿司定食を食べてく車で下山。

キトラ古墳を見て明日香駅へ。

車を返しに橿原神宮へいく。

夜は近鉄奈良駅近くの花小路に泊まる。夕食は前回も利用したベトナム料理店でコース料理を食べる。まあまあおいしかったが、フォーが品切れで食べられず残念。
ワイン少しですっかりできあがってしまい
宿につくとそのまま寝てしまう。

翌日はバスでJR奈良駅まで行き、そこからJRで斑鳩へ行きバスに乗り換え法隆寺へ  中学校以来だった。
そのあと電車で西の京へ出て薬師寺へ
再建された5重の棟の構内を足場を上って見学。

荷物を取りに近鉄奈良駅へ。そこから興福寺を見て猿沢の池を周り、あまりの人の多さにげんなりして
お茶を飲んで南港へ

コンビ二で買ったパンを一つ食べてそのまま寝る。

疲れた旅だった。

岡寺と金峯山寺はとてもよかった。吉野はもっとゆっくり見るべき山だと思った。
今度奈良へ行くときは1か所にしぼってゆっくり見たい
2019. 03. 31  
身の周りがあわただしく動いていく中で、スピードに乗れずに意気消沈?する毎日です。

明日から新年度というのに何も用意できていません。

気ばかりあせって頭も体もついていっていない現状・・・

とりあえず、今日は大分明豊高校が甲子園で京都平安高校に延長12回裏でサヨナラ勝ちしたのでちょっとテンション上がりました。

息子たちも職場の異動があり4月から新天地に赴任することになりました。

私はあと2年で満期除隊となります。

毎年今年こそはやめる!という覚悟でのぞむのですが、何故かやめるタイミングを逃してずるずるとここまで来てしまいました。

年々体力も気力も仕事の効率も落ちていくばかりです。

あと2年も働ける気がしません。

ですが、目の前にある仕事の山はなんとかこなしていかなくてはなりません。

とりあえず明日から1週間働きます。

目先の楽しいことを見つけることが大切ですね。

玉ちゃんの新作ドラマがテレビ東京系列で始まるのでそれを楽しみにしています。

最近の玉ちゃんドラマの中でよかったと思えるのは

「盤上のアルファ」でしょうか。

将棋の世界のお話としては、神木隆之介くん主演映画の「3月のライオン」がすごくおもしろかったです。若いエネルギーを感じました。

「盤上のアルファ」は挫折したおっさんが再起をかけて戦うという話でした。中高年向けのドラマとしてはよくできていたと思いますが、

現実そんなにうまくはいかないなーとちょっと覚めた目で見ている自分がいました。

玉木君、大人むけの作品に出るようになっていまいちピタッとくる役が来ないなと思います。
もしかすると主役をはるより、2番手の方が良い味を出すのではないかと思っています。

性格的にも「俺がおれが」と前面に出るタイプではないので、それが微妙に役に影響している?

役所さんや渡邊謙さんみたいな大物俳優とがっつりタッグを組んだ映画とか見てみたいなー

2019. 01. 29  
兄に勧められて、延岡の西郷隆盛記念館へ行ってきました。

西南戦争の最後の戦いの舞台となった場所で、ここで西郷軍の解散を決意したという因縁の地だそうです。

地元の庄屋さんの家を陣屋として、最後の評議が行われた様子が人形で再現されていました。

政府軍から完全包囲されてしまい、息子の菊次郎は足を負傷して近くの農家で治療中でした。

ここを陣屋に構えたのはすぐ後ろの山が北川墳墓なる古代の天皇家の墓と伝わる場所であるため、天皇を戴く政府軍が攻撃できないだろうという思惑があったそうです。

西郷隆盛はここで軍の解散を命じ、明治天皇からいただいた陸軍大臣の制服を燃やし

それぞれ自分の進むべき道を選ぶように部下たちに諭したそうです。

そして、自らは負傷した息子をここに残してわずかな部下を連れて薩摩へ戻り最後の時を迎えます。

延岡市にはいたるところにこうした西郷軍の足跡が残っています。西郷軍の加勢した人も多かった地元の人たちにとっては第二次大戦よりもより身近な戦争であったことと思われます。

そして、みんな西郷さんを敬愛していたのだと思いました。

日本では

戦国から江戸

江戸から明治

そして、世界ではファシズムの台頭から終焉

歴史の大きな転換点では多くの人々の犠牲を払う必要があったということでしょうか?

ということはこれから先も歴史が大きく変わる時に再び戦禍が訪れるのでしょうか。

それは世界にとって日本にとっても逃れられない運命なのでしょうか。

2019. 01. 28  
1月の3連休に友人に誘われるままに雲仙に行ってきました。

車で4時間という長旅でした。

あまり気のりしない旅でしたが、結果的には行ってよかったです。

行ってみてやはりこれは後世に伝えなくてはいけないことだと思いました。

①雲仙普賢岳
国道57号線からフェリーに乗り込み島原へ渡りました。目の前にそびえる雲仙普賢岳は圧巻でした。朝家を出た時には雨模様でしたが、到着と同時に晴れ間がのぞいたので「これは山に行かなくては」と、そのまま雲仙岳へ。

ロープウェイがほぼ山頂近くまで通っているのでそれに乗り、そこから歩いて雲仙岳山頂へ。

何年か前に大爆発した普賢岳とその爆発によって生まれた新山が見えました。山肌は溶岩の噴出により黒く、土石流が流れ落ちたと思われる跡も見られました。噴火のすさまじさを物語っていました。

雲仙岳はおだやかで美しい山でした。春はミヤマキリシマが咲き乱れ観光客でごったがえすようです。
そのころ来たらきっときれだろうなーと思いました。

雲仙岳を下りて雲仙の温泉群へ

そこはまさしく雲仙地獄です。あちこちから湯気がもくもく噴き出して、100度を超す源泉がぶくぶくと湧いていました。

約400年前この地ではキリシタンの弾圧が行われて多くの罪のない人たちがこのお湯に突き落とされたり熱湯を頭からかけられたりする拷問で亡くなったそうです。
恐ろしい話です。

その後明治維新を迎え、外国から多くの人が訪れるようになってからは保養地として栄え、繁栄したとのこと。

今はかつての賑わいはないけれども多くの温泉宿が立ち並び、情緒豊かな景色を見せていました。

せっかくきたので雲仙の公共温泉に入りました。子どもの頃に入った610ハップという硫黄のお湯の匂いでした。

やわらかい体によさそうないいお湯でした。

今回の宿は島原だったので、次回来ることがあれば雲仙に泊まり温泉を満喫したいと思いました。

②原城
翌日は島原の乱で有名な原城をたずねました。

天草で兵を起こした農民たちが南下して

松倉氏の圧政に抗議する農民を巻き込んで天草四郎を総大将として原城に立てこもったのです。彼らの多くはキリスト教信者たちだったため、徹底的に幕府から攻撃され壊滅させられます。
3万5千人の遺体は原城に穴を掘り、城を壊した残骸とともの埋められたそうです。

幕府軍は天草四郎を見たことがないための遺体がどれが彼のものかわからず、同年齢と思われる少年の首を並べて、実の母親の前に一つずつ見せ母親が泣きだした首が本人だと確信したという残酷な話も残っています。

びっくりしたのは、この闘いで島原に住んでいた人たちのほとんどが殺されてしまい税を払う人がいなくなったため、幕府の命令で全国の天領から移民を募り島原に移住させたというのです。

なので現在島原に住んでいる人たちはその移民の子孫というわけです。

小豆島から来た人たちはそうめん作りを伝え、島原そうめんになったそうです。
四国から来た人たちははぜの実からろうそくを作る技術を伝え、江戸時代は重要な収入源だったとのこと。

キリスト教を禁止したことで日本が外国の植民地になることを防ぐことができたという見方もありますが、今となっては何がよかったなんて誰にもわかりません。

ただ、島原の乱はキリスト教の迫害だけに対抗して起きたのではなく、当時の松倉氏の圧政に苦しむ農民たちも一緒になって蜂起したということでした。なので背景はかなり複雑です。

資料館では当時の貴重な資料を見ることができていろいろ考えさせられました。

八百万の神を信じる日本には、一つの宗教を命をかけても信じるという思想はなかったので、権力者にとっては脅威以外の何者でもなかったと思います。

しかし、先の大戦では神である天皇に命を捧げよと命令していたのも権力者です。

いつの世も権力を持つ人たちの都合の良いようにされるのですね。そんな時代がこれからもくるのかと思うとぞっとします。

③水無川地区の保存地区

普賢岳の火砕流で家が埋まってしまった場所をそのままドーム型の屋根で覆って保存しているところを見に行きました。

屋根がかろうじて見えるだけですべてが火砕流で埋め尽くされている様子を見て当時の噴火の恐ろしさを想像しました。

まさに生きた心地がしなかったでしょう。また、この家に住んでいた人たちは今どうされているのか気にかかりました。この家を見る

たびに当時のことを思い出して恐怖を感じるのではないかと・・・

でも悲惨な歴史を伝える資料として大きな価値はあると思います。


プロフィール

ninngnnmodoki

Author:ninngnnmodoki
ninngennmodokiのブログです
生まれも育ちも大分県
家族:定年退職した夫
   社会人の長男(家を出て一人暮らし中)
   社会人の次男(何故かいまだに同居中)
    
趣味○音楽
    ・オペラ観劇
    (モーツアルトのオペラが好き)
     最近は「のだめ」の影響でオーケストラも聴くよう     になりました。同時に「玉木宏」君のファンに・・
    ・好きな歌
     ジョンレノン「イマジン」
     ベートーベン第九合唱
   ○読書
    ・好きな作家
     村上春樹
     藤沢周平
     ジェーンオースティン
   ○旅
     気ままな一人旅が好き
     2012年念願のウィーン・プラハへ行ってきました
     2017年あこがれのフィレンツェへ行ってきました

月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索