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2019. 01. 29  
兄に勧められて、延岡の西郷隆盛記念館へ行ってきました。

西南戦争の最後の戦いの舞台となった場所で、ここで西郷軍の解散を決意したという因縁の地だそうです。

地元の庄屋さんの家を陣屋として、最後の評議が行われた様子が人形で再現されていました。

政府軍から完全包囲されてしまい、息子の菊次郎は足を負傷して近くの農家で治療中でした。

ここを陣屋に構えたのはすぐ後ろの山が北川墳墓なる古代の天皇家の墓と伝わる場所であるため、天皇を戴く政府軍が攻撃できないだろうという思惑があったそうです。

西郷隆盛はここで軍の解散を命じ、明治天皇からいただいた陸軍大臣の制服を燃やし

それぞれ自分の進むべき道を選ぶように部下たちに諭したそうです。

そして、自らは負傷した息子をここに残してわずかな部下を連れて薩摩へ戻り最後の時を迎えます。

延岡市にはいたるところにこうした西郷軍の足跡が残っています。西郷軍の加勢した人も多かった地元の人たちにとっては第二次大戦よりもより身近な戦争であったことと思われます。

そして、みんな西郷さんを敬愛していたのだと思いました。

日本では

戦国から江戸

江戸から明治

そして、世界ではファシズムの台頭から終焉

歴史の大きな転換点では多くの人々の犠牲を払う必要があったということでしょうか?

ということはこれから先も歴史が大きく変わる時に再び戦禍が訪れるのでしょうか。

それは世界にとって日本にとっても逃れられない運命なのでしょうか。

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2019. 01. 28  
1月の3連休に友人に誘われるままに雲仙に行ってきました。

車で4時間という長旅でした。

あまり気のりしない旅でしたが、結果的には行ってよかったです。

行ってみてやはりこれは後世に伝えなくてはいけないことだと思いました。

①雲仙普賢岳
国道57号線からフェリーに乗り込み島原へ渡りました。目の前にそびえる雲仙普賢岳は圧巻でした。朝家を出た時には雨模様でしたが、到着と同時に晴れ間がのぞいたので「これは山に行かなくては」と、そのまま雲仙岳へ。

ロープウェイがほぼ山頂近くまで通っているのでそれに乗り、そこから歩いて雲仙岳山頂へ。

何年か前に大爆発した普賢岳とその爆発によって生まれた新山が見えました。山肌は溶岩の噴出により黒く、土石流が流れ落ちたと思われる跡も見られました。噴火のすさまじさを物語っていました。

雲仙岳はおだやかで美しい山でした。春はミヤマキリシマが咲き乱れ観光客でごったがえすようです。
そのころ来たらきっときれだろうなーと思いました。

雲仙岳を下りて雲仙の温泉群へ

そこはまさしく雲仙地獄です。あちこちから湯気がもくもく噴き出して、100度を超す源泉がぶくぶくと湧いていました。

約400年前この地ではキリシタンの弾圧が行われて多くの罪のない人たちがこのお湯に突き落とされたり熱湯を頭からかけられたりする拷問で亡くなったそうです。
恐ろしい話です。

その後明治維新を迎え、外国から多くの人が訪れるようになってからは保養地として栄え、繁栄したとのこと。

今はかつての賑わいはないけれども多くの温泉宿が立ち並び、情緒豊かな景色を見せていました。

せっかくきたので雲仙の公共温泉に入りました。子どもの頃に入った610ハップという硫黄のお湯の匂いでした。

やわらかい体によさそうないいお湯でした。

今回の宿は島原だったので、次回来ることがあれば雲仙に泊まり温泉を満喫したいと思いました。

②原城
翌日は島原の乱で有名な原城をたずねました。

天草で兵を起こした農民たちが南下して

松倉氏の圧政に抗議する農民を巻き込んで天草四郎を総大将として原城に立てこもったのです。彼らの多くはキリスト教信者たちだったため、徹底的に幕府から攻撃され壊滅させられます。
3万5千人の遺体は原城に穴を掘り、城を壊した残骸とともの埋められたそうです。

幕府軍は天草四郎を見たことがないための遺体がどれが彼のものかわからず、同年齢と思われる少年の首を並べて、実の母親の前に一つずつ見せ母親が泣きだした首が本人だと確信したという残酷な話も残っています。

びっくりしたのは、この闘いで島原に住んでいた人たちのほとんどが殺されてしまい税を払う人がいなくなったため、幕府の命令で全国の天領から移民を募り島原に移住させたというのです。

なので現在島原に住んでいる人たちはその移民の子孫というわけです。

小豆島から来た人たちはそうめん作りを伝え、島原そうめんになったそうです。
四国から来た人たちははぜの実からろうそくを作る技術を伝え、江戸時代は重要な収入源だったとのこと。

キリスト教を禁止したことで日本が外国の植民地になることを防ぐことができたという見方もありますが、今となっては何がよかったなんて誰にもわかりません。

ただ、島原の乱はキリスト教の迫害だけに対抗して起きたのではなく、当時の松倉氏の圧政に苦しむ農民たちも一緒になって蜂起したということでした。なので背景はかなり複雑です。

資料館では当時の貴重な資料を見ることができていろいろ考えさせられました。

八百万の神を信じる日本には、一つの宗教を命をかけても信じるという思想はなかったので、権力者にとっては脅威以外の何者でもなかったと思います。

しかし、先の大戦では神である天皇に命を捧げよと命令していたのも権力者です。

いつの世も権力を持つ人たちの都合の良いようにされるのですね。そんな時代がこれからもくるのかと思うとぞっとします。

③水無川地区の保存地区

普賢岳の火砕流で家が埋まってしまった場所をそのままドーム型の屋根で覆って保存しているところを見に行きました。

屋根がかろうじて見えるだけですべてが火砕流で埋め尽くされている様子を見て当時の噴火の恐ろしさを想像しました。

まさに生きた心地がしなかったでしょう。また、この家に住んでいた人たちは今どうされているのか気にかかりました。この家を見る

たびに当時のことを思い出して恐怖を感じるのではないかと・・・

でも悲惨な歴史を伝える資料として大きな価値はあると思います。


2019. 01. 06  
レニングラード攻防戦・・・

以前サンクトペテロブルグ(ソ連時代はレニングラード)の人たちが猫を大切にする理由について特集を観たことがありました。
エルミタージュ美術館には猫専用広場があって、猫係もいる。
レニングラード攻防戦でドイツ軍から兵糧戦に追い込まれた時に食料として猫を食べたという話でした。
猫がサンペテロブルグの町を救った・・・考えたらすごい話です。

その話と今回の話はリンクしていました。

今回は音楽が町を救ったという話

それでは感想です

①玉木宏とサンクトペテルブルグの街と人

壮大な建築物が立ち並ぶこの街を背景にしても負けていないビジュアルがすごいです。どこをきりとっても絵になるヨーロッパの街並みに溶け込んでいる姿が力強く、美しい。

なのにサングラスは必要だった?証言者の話を聴くときはちゃんとはずしてたけど、挨拶の時もとるべきだと思ったよ。

ただ、そんなことも証言者の話す衝撃的な話のひとつひとつにぶっとびました。
あまりに重たい内容に言葉もありませんでした。
・食べ物がなくなって餓死する人がたくさんいた
・犬や猫も食料になった。
・部屋の壁紙をはがして裏側の「のり」を食べた。
・死んだ人の肉を食べる人もいた。
・肉を買いに行った叔母がかえってこないので叔父が迎えにいったら、殺されて体をバラバラにされて売られていた。(ホラーか!)
・凍った湖の上をトラックに乗って逃げているときに機上照射を受けて目の前の同級生が打たれてなくなった

ナチスのユダヤ人に対する迫害についてはたくさん映像や映画などで見てきたはずですが、戦争とはむごいものです。

恐ろしい証言に真摯に向き合い、うなずく玉ちゃんの美しさがこの残酷な話を少しやわらげてくれていると思いました。

②戦争と政治に翻弄されたショスタコーヴィッチ

ショスタコーヴィッチの名前は聞いたことがありましたが、ストラビンスキーやムソルグスキー ラフマニノフなどの派手な作曲家の曲に比べると地味な印象がありました。

このドキュメンタリーを観なかったら彼の音楽やレニングラードに対する深い愛を知ることはなかったと思いました。

ロシア帝国が崩壊して誕生した社会主義政権では、言論の自由や個人所有の財産も奪われ大規模な粛清が行われており、富裕層や知識人は次々に反政府分子としてつかまって処刑されていた時代です。

ショスタコーヴィッチは作曲家として時の指導者スターリンの顔色を見ながら彼が気に入る曲を書き続けなければなりませんでした。
スターリンはヒトラーと同様に音楽を政治利用しようとしていたのです。

そのような思惑を知っていたショスタコービッチですが、生まれ育ったレニングラードが包囲されたことへの憤りは強く、自分の音楽で町の人を勇気づけたいと思うようになります。

ラジオでこう呼びかけます
「私は新しい曲を作ってレニングラードの人たちに希望を与えたい。そしてどんなつらい情況でも日常を忘れることがないようにしてほしい」

ところがショスタコービッチは作曲に専念させるため上層部の命令でレニングラードから遠く離れた町に移らされます。

そこでようやくできあがった交響曲第7番ですが、初演はレニングラードではありませんでした。

レニングラードにはすでに演奏ができる人がほとんどいなかったのです。あるものは戦地へあるものは徴用へ そしてまたある者は病死や餓死してしまっていました。

ラジオ局でレニングラード放送交響楽団を指揮していたエリアスベルクはなんとかして音楽を町の人々に届けて勇気づけたいと思っていた。そして同じ志を持つ仲間たちと一緒に演奏者を集め始めました。食べ物がなく、栄養失調ぎりぎりの状態で演奏に向かう楽団員のひたむきな姿に心打たれました。

同じ頃、アメリカではトルーマンが対ドイツ戦へ参戦するためこの曲を使い民意の昂揚を図りました。音楽が政治利用されたのです。

レニングラードではいよいよ公演の日が決まりました。街では演奏会を成功させるために軍が会場を取り囲みドイツの襲撃に備えるという厳戒態勢の中始まります。そして彼らの演奏はスピーカーでレニングラードの市民に届けられました。

ドイツ軍はその鬼気迫る演奏を聴いて「とてもこの街を攻撃なんかできない」と感じたそうです。

かくして演奏は無事終わり、アメリカ軍の参戦が始まりドイツは劣勢となりレニングラードは開放されます。

封鎖されていた間の死者は300万人にのぼったそうです。

ショスタコービッチが親しい友人に語ったところでは
「私はあの曲をナチスと闘うためだけに書いたのではなく、すべての人を苦しめる社会体制に対して書いたんだ」と語ったそうです。

音楽は人を勇気づける力にもなるし、時の権力者によって政治利用されるものにもなりうるのだということを知りました。

それにしても、この美しいレニングラードの街はドイツ軍によって完全に破壊されてしまったのですが、その後街の人たちの努力によって以前の美しい町並みに再建されていることを知りおどろきました。
そして今は旧ロシア時代の名前「サンペテルブルグ」と呼ばれています。

街を愛する人たちの情熱がすごいと思いました。

2018. 12. 28  
ようやく映画の感想です。

音楽をテーマにした映画の中で私の中でのベスト5
公開順にあげると

アマデウス
 モーツアルトの音楽と心情の描写そして映像が素晴らしかった。18世紀のウィーンに観ている人をいざなってくれました。
 永遠に自分の中ではベスト1です。

オペラ座の怪人
 豪華な舞台セットといい歌といい本物のブロードウェイミュージカル舞台を見ているようでした。最高にゴージャスな映画

のだめカンタービレ
 漫画原作の物語がここまでやるか!本気の音楽映画でした。特にウィーンの楽友協会とプラハでの「1812」の演奏シーンは圧巻のスケールでした。

レ・ミゼラブル
 ストーリーといい歌と言い、素晴らしかったです。19世紀フランスの社会情勢と音楽とがマッチしていました。主人公のストーリーはもちろんですが、サイドストーリーで自由を求めて立ち上がる若者たちの姿に心を打たれました。

ボヘミアンラプソディ
 フレディマーキュリーの伝記映画でありながら、クイーンという唯一無二のバンドの誕生から永遠の別れまでを丁寧に描きあげていました。何度見ても胸があつくなるシーンが満載でした。

 音楽的に見ても見ごたえがありました。4人で意見を出し合いながら音楽を作っていくシーンでは、それぞれの才能がぶつかり合い、新しい音楽が生まれてくるその瞬間をリアルタイムでみせてもらった気がしました。

 この4人だからこそ生まれた名曲がたくさんあったのだなと思いました。

 ライブエイドの演奏シーンはその再現度に鳥肌ものでした。ここまでやるか!どこからどこまでが本物でどこまでが演技なのか誰にもわからないぐらいリアルなシーンでした。

わかったのは、この映画に関係するすべての人たちがクイーンとその音楽が大好きなんだということです。でなかったら、こんな映像は絶対とれなかったと思います。

リアルタイムでファンだったスタッフもいれば、新しい映像でファンになった若いスタッフ人もいたと思います。

15万人を超す大観衆の心をとりこにした彼らの演奏とフレディの歌声はこの映画で未来永劫の伝説となったと思いました。

もちろんクイーンの本物のライブ映像はYOUTUBEを探せばいくらでもみることができます。でもこの映画はなんだかそれを超えるほどのインパクトを観る人に与えてくれる気がします。

それはクイーンという伝説のバンドを愛した多くの映画人たちの心がたくさんつまっているからだと思います。

音楽の力はすごいと思います。国も言葉も人種も性別もあらゆる垣根を超えて人々の心に届いてきます。

世界中の人たちがこの映画を見ることで、いつでもどこでも「人は音楽でつながれる」のではないでしょうか。

願わくば、紛争地帯の人たちが敵も味方もクイーンの曲で盛り上がれる日がきますように。

2018年も終わりますね。

2019年は新しい天皇が即位し、東京オリンピックに向けて日本中が大きく動き出すことでしょう。

私は相変わらず、田舎の片隅でこの変化を遠目で眺めながら、目の前の仕事に追われる日々が続くと思われます。

とにもかくにも家族が健康で平穏に暮らせることが一番の願いです。

皆様にとりましても来年が良い年でありますように。
2018. 12. 27  

「映画「ボヘミアンラプソディ」を見て初めて知ったフレディの半生」

出自(難民)と性(同性愛)という二つのマイノリティに翻弄される苦悩の人生だったことを知り、驚きました。

あれだけの才能に恵まれた人が裏でこのような苦しみと闘っていたのだ・・・

今の時代に公開になったことはある意味良いタイミングだったのかもしれません。

ヨーロッパ各地で起こる移民、難民問題。そしてLGBTが世界中で認知されてきた情勢。

フレディの生きた時代(30年前)はまだまだ人種差別や同性愛に対する偏見が強く、周囲の心ない言葉や態度に傷つく人が多かっただろうと推測されます。
いや、表向きには理解が進んだとはいえ、今でさえまだまだ偏見がないとはいいきれませんけど。

「音楽がフレディを苦悩から救った」

彼の作った歌の歌詞を改めて読んでみると「誰かぼくを救ってよ」「誰かぼくに気づいて」「ぼくを愛して」という心の叫びが聞こえて来るようです。

少年のように傷つきやすく純粋な心を持った人だったんだと思います。

音楽と出会ったことで彼は居場所を見つけ、輝くことができたのでしょう。けれども、音楽から1歩離れると孤独の闇の中。

好きな女性と家庭を持つこともかなわず、同性の愛人を渡り歩き、酒とドラックで虚しさを埋める毎日。

一緒に音楽を作り続けてきたクイーンのメンバーであっても彼を救うことができず、誰も彼の虚しさを埋めることができなかった。

そんな中 音楽の神様だけは、彼にあふれんばかりの才能を与え、数々の名作が生まれた。

彼もまたミューズに愛された一人だった。

離れていたメンバーと「ライブエイド」をきっかけに最後にわかりあえたことが救いでした。

あのライブ映像の再現度の高さは素晴らしかった。鳥肌がたちました。

フレディを演じた俳優さん、顔も体も全く違うのに本人になりきってました。まるでフレディが乗り移ったかのようでした。

フレディも天国で「ようやく俺のことを理解してもらえる時代が来たんだな」と喜んでいるかも。

プロフィール

ninngnnmodoki

Author:ninngnnmodoki
ninngennmodokiのブログです
生まれも育ちも大分県
家族:定年退職した夫
   社会人の長男(家を出て一人暮らし中)
   社会人の次男(何故かいまだに同居中)
    
趣味○音楽
    ・オペラ観劇
    (モーツアルトのオペラが好き)
     最近は「のだめ」の影響でオーケストラも聴くよう     になりました。同時に「玉木宏」君のファンに・・
    ・好きな歌
     ジョンレノン「イマジン」
     ベートーベン第九合唱
   ○読書
    ・好きな作家
     村上春樹
     藤沢周平
     ジェーンオースティン
   ○旅
     気ままな一人旅が好き
     2012年念願のウィーン・プラハへ行ってきました
     2017年あこがれのフィレンツェへ行ってきました

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